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【日本舞踊】女形の歴史-2

遊女たちの舞台が禁止されるとかわりに隆盛を極めていくようになったのは、美少年を着飾って美しい女性に扮する「若衆かぶき」でした。

中世の稚児舞の流れを汲んだ少年の風流踊自体は、その当時でも決して新しいものであったわけではありません。 美少年たちの歌舞伎グループも、前から存在していたようでしたが、遊女歌舞伎の禁止によって、その人気を高めていきました。

この若衆歌舞伎時代は、現代の舞踊の基礎を培った時代、とも言われています。華やかな三味線音楽によった女歌舞伎に対して、 若衆歌舞伎には能狂言の流れが入ってことで、動き主体の集団によるおどりから、 情感や心理表現を見せる個々の舞といったものに変質していったというのです。これにより、演劇の方向へと舞踊が向いていったのです。

一方で、一般庶民の中にも衆道[しゅどう]と言われる男色が社会現象的に広まっていき、 色古宿[いろこやど]などが登場するようになりました。

若衆かぶきもその対象となっていったことで、遊女歌舞伎と同じく、風紀上の問題(同性愛)が立て続けに起こり、やはり幕府によって、 慶安五年(1652)、若衆歌舞伎も禁止されてしまいました。

 

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