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【日本舞踊】女形の歴史-3

若衆かぶきを禁止された若衆たちは、舞台に立つことを禁じられ、舞台に立つことができるのは、前髪を剃り落とした男性に限る、 とされました。

前髪を剃り落とす事は、若衆たちにとっては、屈辱的なことだった、とされています。

しかし、前髪を剃った若衆の花形たちは、そのまま野郎歌舞伎に移行し、前髪を剃った後に紫の布を置く「野郎帽子」をつけて、 女性に扮装して登場しました。

ここに女形が誕生したのです。

この頃の初期の女形の花形たちは、ほとんどが色子宿の出身者であったと言われています。

若衆歌舞伎時代の蓄積が継続された事で、この頃「歌舞伎」は非常に速いペースで発展を遂げていく事になります。

それは、「引き抜き」による「変化舞踊」の流行を含んで、ついには、元禄の時代(1688~1704)に、歌舞伎の中の舞踊が 「所作事[しょさごと]」という名で、歌舞伎からの独立した演目としても成立するようになっていったのです。

その後、宝暦の時代(1751~1764)、初代中村富十郎[かなむらとみじゅうろう]による『京鹿子娘道成寺』初演という、 現代まで続く日本舞踊の名曲の上演へとつながっていきました。

 

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