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【京鹿子娘道成寺】-【能】3

一方では、農村・農民の民族から発展していった「田楽」などの芸能もさかんとなり、 諸芸は互いに影響を与え合うようになっていきました。

鎌倉中期になると、「猿楽」に、物語的要素の強い楽劇が盛り込まれるようになっていき、笑いの芸能「狂言」 とともに上演される形式をとるようになっていきました。

この形式は、現代の能楽にまで続く、大きな流れとなっています。

そしてこの猿楽から、十四世紀後半、名手観阿弥[かんあみ]が登場するのです。
将軍足利義満の支援を受けた観阿弥は、舞の芸風だけにとどまらず、音楽面での発展にもおおきく貢献していったのです。

父観阿弥の偉業を受け継いだ世阿弥は、これをさらに発展させ、現代にまで続く「能」を芸術として確立するに至ったのです。

 

 

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